モテたいってなんやろう。モテるって実は危険かも
こんにちはこたちまるです。
ちまたには”モテ”が溢れてますよね。
モテる髪型だったりモテる服、モテるメイクやモテる自撮り。
なんかなー、ちゃうんよな。”モテる”=”不特定多数から恋愛感情をいただかれる”ことでしょ?ほんまにそんなこと望んでるんかな?
最近は”モテ”=”不特定多数の人から好かれる格好や言動”というニュアンスが強い様に思う。事なかれ主義の成れの果て。みんな”流行っている””モテる”という理由で同じような格好に、同じようなメイク、同じような流行り物をもって個性を消してゆく。
恋愛って、行き着く先はセックスなんだと自分は解釈してまして、やはり生き物として種の保存をベースとしたパートナーを見つけることが人生全体においての最高の喜びではないかと悟ったりしています。
その理屈で言うと、男女はお互いに、遺伝子の中和を図っているはずなんです。潜在的に、本能的に。
だから背の高い人は背の低い人、細い人はふくよかな人、イケイケの人はおっとりした人・・・という風に自分となるべく反対の遺伝子に惹かれるはずなのです。
各パーツにおいても同じ事が言えて、目の大小や口、鼻の高い低い、顔の大きい小さい等、可能な限り自分と反対のものを持っている方がとっても愛しくなるように神様は設計されてると思うんだよね。
結局なにが言いたいかって言うと、「流行り物で自分の個性を消すのはもったいないよ」ってこと。
自分のコンプレックスをさらけ出す事はとっても勇気がいることだと思うけど、それを完全に隠すことは、遺伝子的にそれを求めている、真にあなたの事を愛してくれる人への目印を消しちゃっているってこと。
車に例えて言うなら、皆が皆大衆車、たくさん売れる車になろうとしている状態。大衆車には大衆車の良さがあるが、本当にその大衆車を愛して長年乗り続ける人はとても少ないと思う。
それよりも、とっても癖があって、短命で生産が終了したようなモデルは、部品の供給が終わっても頑張って乗り続けようとするオーナーがいたりする。そんな愛される車になったほうが絶対お互いに取って良いと思う今日このごろでありました。